コンクールについて所感

数々のコンクールがあり、ピアノを学ぶ子どもたちにとって、時には大人にとっても比較的身近なものになっています。

教室の生徒も今まで、様々な全国のコンクールの大会でも沢山の賞をいただいていますし、時には指導者にも賞状が送られてくることもあります。

私自身もコンクールで審査員を務めているので、みんなの演奏を聴かせてもらう機会も多いです。

大抵の場合、講評を書くので、少しでも役に立つようにと思い、出来るだけ気づいたこと、思ったことはアドバイスとして全部書くようにしています。時には用紙の裏まで使って。

そんなコンクールですが沢山の先生がいるので、点数をつける基準というか好みが分かれてきます。もちろん別れるのは自然なことで、そのために数名の先生がいるのですが。

やはり自分が良いと思う演奏には点数をつけます。何が良いかと思うと言うと、私の場合はそれは「自然で」「歌」のある演奏です。

きっちりかっちり弾く演奏はそれはそれで良いのでしょうが、試験のためにしっかり弾けるということをアピールしているようであまり面白くないと感じてしまいます。

逆に大きな音で派手にし過ぎるのも、受けを狙ったパフォーマンスの様になりこれは特に私が勉強してきたある意味保守的なウィーンなどでは「?」を持って受け止められることもあり、私も同じく「?」を感じます。

選曲が自由なコンクールだと、とても難易度の高く、その子にそもそも弾きこなせるものではないのに、おそらく良い意味で解釈すればチャレンジとして選曲していたりすることもあります。パッと見ればその年齢でそんな曲が弾けるなんですごい!となるのでしょう。

また、発掘してきた様な現代曲などは審査員も詳細が分からないので、ある程度の点数が出やすいです。ピアノの現在の性能に合わせて作っていることもあり確かに効果的な曲は多いですし。ただそのあたりと、ベートーヴェンなどはどうやっても比べようがありません。

どれにしてもコンクールで平均的に良い点数をもらうためのテクニックとしては「有り」なのかもしれませんが、そもそも魅力的でコンサートで聴きたい演奏でなければ元も子もないと思います。

そして、子供の頃の多感な時期には、昔から長く残っていて親しまれてもいる美しいものを弾いて欲しいと思います。感性や心を育てるにはそれが一番良い方法です。

私としては、少々技術的に問題が起こったとしても、そんな魅力的な演奏を評価しているつもりです。ある意味珍しいタイプかもしれません。

そんなことで、点数をつけることについて色々と思うところはあって、今まで教室の生徒のコンクールの結果についてはあまりこのブログなどに載せてきませんでした。

私自身が音楽において勝った負けたといういうのが本当に好きではなく、そういうマインドになってしまうと教室全体の雰囲気もギスギスしてきます。

こんなに素晴らしいもの(音楽)で競争なんかしなくて良いのにと思っていることもあります。

一方、コンクールでもそれを一つのステージとして捉えると、それこそレッスン何回分にも相当するような成長を遂げることがあります。それに向かって練習するプロセスはおよそモチベーションの高いものですし、ステージでのハプニングがあったとしても、それも含めて大切な経験です。演奏家たちもそうにやって経験を重ね今があります。

自分のコンサートの時は、聞いてもらう人に楽しんでもらえる様にと思って100パーセントで準備します。コンサートでは点数はつきませんが、お客さんからの良い評価を目的にするのではなく、評価という意味では自分の中の評価、自分が納得いく様に演奏できたかが基準となっています。

コンクールもその様に捉えて行けば、非常に価値があるステージとして成長につながるとも考えられる様になってきたので、これからはコンクールの関連も定期的に掲載してきたいと思います。

音楽は素晴らしいもの、一生の友達にという基本は変わらずに成長の一助としてステージを経験できる場としてうまく関わっていければ嬉しいです。

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