アート探求3 美意識

steamのピアノから始まり、ピアノでアートセンスを磨くと繋がり、原点回帰としてアートってそもそも何?という問いに至り、頭を整理するための記事が続いています。

コンセプチュアルアート的思考の、アイディアが最も大事であるということは自分にとってはしっくりこない。理由は成果物としての作品が美しいと感じないことが多いからというところまで来ました。

音楽での実験的、前衛的なものとの関連もかなり感じられ、ただ同時にそれが一般に心地よい、美しい、良い、と感じる普遍的な感覚からの乖離具合も同じ様にあるように思います。音楽で言えば12音技法を先駆けとしてコンセプチュアルミュージックに入っていったとも言えるでしょう。

そして同時に強迫観念的に「新しいことが価値である」という風潮が生まれて、今はそれが空気の様にある種疑いなく社会的にも蔓延しているようにも思います。これはなぜそうなのかと考えると、ものを売らなくては、だから目を惹く新鮮味のあるものをという資本主義的世界のあり方の結果の様にも感じられます。

確かにこれほどまでに急速にテクノロジーが発展しデジタルアートまで莫大な価値を持つ様になった時代に、手仕事(技術)によるアート=美しいものというのは古臭く感じられる事もあるでしょうが、人間がこの世界で生きている限りその手によって創造される美しいものは必ず価値があると信じます。

そしてその創造には意志が、コンセプトが付随していることは自明ですが、それだけではなく成果物としての作品が美しくあること、もしくは美しく作ろうとする努力そのプロセス自体が必ず重要なことだと思います。

つまり現時点で自分の中ではアートは「何かを表現しつつ美しくあろうとすること」と言えると思います。現代アートの考察からここまで来ました。ふと音楽で振り返ってみると「美しく」というのはモーツァルトの時代に通づる非常に古典的な考え方かも知れません。

音楽にしても美術にしても現代というのは評価が固定されずに流動的であることに意味があるともいえますが、歴史がそうであった様に古典回帰の時代が来るのではないでしょうか。

ピアノでアートセンスを磨くのメソッドも、美意識を磨くという視点も持ったものを創っていきたいと思います。

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