バルトーク〜新鮮な語法

今度伴奏でバルトークのヴァイオリンコンチェルトをすることになりました。以前ヴァイオリンのソナタを弾いたことはあり雰囲気は分かっています。ただ分かっている雰囲気というのはそれが「分かりにくい」という雰囲気だということです笑
まぁ、そうは言っても弾いている間に音楽としては分かってきます。それはどんな曲でもそうで、一回聞いて意味の分からないという所謂現代曲でも、人が作っている限りもちろん理解は出来てくるものです。

そしてそれは新鮮な語法(音楽的な語法)で書かれているので、面白いです。リズムや表現の幅も広く、ピアノで言えば、クラシックの場合に必要な「歌える音」ではなく、太鼓や打楽器の様な音、果ては電子音まである意味では原始的という様な音も使います。

ウィーンにいた学生の時はピアノの鍵盤を「叩く」と怒られるという方向だったのに、現代曲では、むしろそれが必要だったりします。自分としては歌うきれいな方が好きなのですが。

その語法というのは、ドビュッシーの頃からかもう少し進んでからか、作曲家が自分のカラーを出そうと試行錯誤し始め、ドビュッシーだと全音音階など、また旋法的なこともあり、メシアンなどに繋がり、シェーンベルクは十二音技法という半音を全て平等に使う理論を編み出し、そして自分の語法を探すということになります。

ではバルトークは…と考えた時、ほとんど知らないことに気づきました。ハンガリーの民謡を取り入れたりということは知っていてもその和音的な理論はあまり知らない。そこで前から本棚に眠っていた本を取り出して読んでみました。

すると、全く考えなかった方法で和声が作られていることが分かり、また旋律も十二音技法を取り入れたり、実験的でもあり、ある意味では保守的でもあり(細かい説明は複雑なので省きますが)本当に面白い!

ある人がクラシックとポップスの境目は「伝統的な理論から始まって曲が作られているかどうか」ということを言っていましたが、それがその通りかどうかはさておきバッハ以来、西洋音楽は非常に、本当に論理的に作られて組み立てられています。それこそ一つの音がなぜそれなのか説明できることも多いです。

理論的に出来ているというと、何か面白くないんじゃないかという様な感覚もあります。ただ、その完成したものがとても歌える様に音楽的になっているのが、音楽の面白さ。今回のバルトークも新たな発見もあり、新鮮な気持ちで楽しみたいと思います。

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