上毛新聞オピニオン3回目

今回のオピニオンは「音楽家の仕事」についてです。

少し前回までとは視点を変えて、音楽を演奏する、作る側のことについて触れました。

今年に入ってから新しい方向を探っていることもあり、考えをまとめる意味でも今までの歴史的なことも踏まえ、音楽に携わる仕事がどんなものかを考えました。

Society5.0などと呼ばれる、音楽にとっても新しい時代。

クラシックの音楽の流れで、その技術を活用しているところでは、ベルリンフィルのコンサートホールの配信などのライブ配信や、DTMでのピアノやオーケストラ音源、異なる場所にいてもアンサンブルができる、などがあります。スタインウェイの生での自動演奏もすごいですね。

ただ、それぞれ素晴らしいとはいえ、生演奏には追いつけない、というか違います。レッスンのオンラインなどもいつかは追いつけるのでしょうか。

以下が記事とテキストです。

時代の変化捉え多様化 / 伊藤 正

前回まで、音楽が調和していること、そしてそれを広める手段として幼少期の貴重な体験の必要性を綴りました。今回は少し視点を変えて私たちのこと、つまり音楽を伝える側の音楽家の仕事のことについて考えます。

「音楽を仕事にしたい」。音楽の好きな子だと、一度は考えそうなことですね。ジャンルがクラシックであれ、ポップスであれ中々難しいことではありますが、どうしたらよいのでしょうか。

ここで少し音楽家の仕事の歴史を見てみましょう。西洋音楽については古くは音楽家は教会に雇われていました。バッハは教会でオルガン奏者として演奏し、名曲「主よ人の望みよ喜びよ」なども教会のために書かれた作品です。

次の時代は宮廷や貴族たちが雇い主となり、晩餐会用の音楽、結婚式のための音楽など、その時々のイベントに合わせて音楽家が曲を作り演奏しました。料理を作ったり、掃除をしたり、服を作ったりという仕事と同じ位置づけでした。雇い主のために必要なものを作るという意味で仕事人的な音楽家です。

その後、音楽家のイメージは現在に近くなりアーティスト的になります。誰かのためではなく、「自分の音楽」を表現したいという傾向が強くなってきます。モーツァルトですら、自分の書いた作品が時の皇帝に「音が多すぎる」と言われたとのエピソードがあります。その大意は、音が多すぎて音楽として良く分からないということです。芸術は突き詰めて行くと自分の独自の世界を創造することになり、それが行き過ぎると社会との繋がりを失ってしまうこともあります。仕事の本質は、みんなの問題を解決することにあるので、社会との調和が無くなってしまうと結果的に仕事にはならなくなってしまします。

「自分の音楽」を表現する時代になって以来、独自のスタイルを求める音楽家の生活が大変なのは今も変わりませんが、これを変えることはできるのでしょうか。何せ「音楽で生きていくのは難しい」というのは遙か昔からの固定観念とも言えるので一筋縄では行きません。

ただ、歴史的に見れば私たちは大きな転換点を生きています。ネット社会と言われる様に、個人が発信出来る範囲が飛躍的に広がり、ネット上には一つの世界が現実の他に別にあるとも言われる程です。また、観光でのニュースなどで目にするように、「物から事へ」という流れもあります。つまり何かを経験することなど、心を豊かにすることの価値が増してきます。音楽はまさしくこの流れに乗っています。社会との調和と、独自の音楽の芸術性のバランスを取りながら、創意工夫を加えて新しい音楽家の仕事のスタイルを創造できる可能性があると考えています。

この記事をシェアする

ARCHIVES

ページ上部へ戻る